Z世代は「仕事に生きがい」はいらない?これからの働き方とは?

「仕事に生きがいを求める」

少し前まで、これは当たり前のように語られていた価値観でした。

仕事を通じて成長する。

会社に貢献する。

出世する。

仕事で認められる。

そして、仕事そのものに「やりがい」や「生きがい」を見つける。

私たちの世代では、こうした考え方に違和感を持つ人は、それほど多くなかったのではないでしょうか。

ところが、若い世代の仕事観を見ていると、どうも様子が違います。

「仕事は生活のためのもの」

「できるだけ効率よく働きたい」

「仕事よりもプライベートを充実させたい」

「会社に自分の人生を預けたくない」

そんな考え方が、決して珍しいものではなくなっています。

今回読んだのは、金間大介、酒井崇匡著『仕事に「生きがい」はいりません 30年の調査データが明かすZ世代のリアル』です。

タイトルを見たとき、正直なところ少し驚きました。

「仕事に生きがいはいらない?」

私たちの世代からすると、かなり大胆な言葉です。

しかし、本書を読んでいくと、単純に「最近の若者は仕事をしたくない」という話ではないことが見えてきます。

むしろそこには、社会の変化、SNSの普及、人間関係への不安、将来への不確実性、そして「仕事と人生をどう切り分けるか」という、現代人共通の問題がありました。

今回は、本書から学んだことを整理しながら、「仕事に生きがいを求めなくてもいい時代」に、私たちはどう働けばいいのかを考えてみたいと思います。

「仕事=生きがい」という時代が終わりつつある

まず印象に残ったのが、

現代人の多くは、仕事よりも私生活で充実感を得るように変化している

という指摘です。

これは、かなり大きな変化ではないでしょうか。

かつての日本では、

「仕事を頑張ってこそ一人前」

「会社に尽くしてこそ評価される」

「仕事で成果を出して家族を支える」

といった価値観が強くありました。

もちろん、今でもそう考える人はいます。

しかし、それだけが正解ではなくなっています。

仕事はあくまで生活を支える手段。

人生の楽しみは、仕事以外にあってもいい。

休日に趣味を楽しむ。

家族との時間を大切にする。

友人と過ごす。

好きなゲームをする。

推しを応援する。

旅行に行く。

SNSで好きなことを発信する。

つまり、

「仕事を充実させること」と「人生を充実させること」は、必ずしも同じではない

ということです。

これは考えてみれば、非常に合理的な考え方でもあります。

人生のすべてを仕事に集中させる必要はありません。

仕事は仕事。

私生活は私生活。

その両方が充実しているなら、それでいい。

むしろ「仕事こそ人生」と考えてしまうことで、仕事がうまくいかなくなったときに、人生全体まで否定されたような感覚になってしまう危険があります。

仕事と人生を少し切り離す。

その発想は、これからますます重要になるのかもしれません。

「Lazy Girl Job」という考え方

本書を読んでいて、興味深かったのが、

「Lazy Girl Job(レイジー・ガール・ジョブ)」

という言葉です。

これは、最小限の努力で高い給料を得られ、私生活に支障をきたさない仕事を指します。

もちろん、文字どおり「怠けたい」というだけではありません。

重要なのは、

仕事に人生を支配されたくない

という発想です。

仕事で無理をしすぎる。

残業を重ねる。

休日まで仕事のことを考える。

昇進競争に身を置く。

会社のために自分の時間を削る。

そうした働き方を「成功」と考えない。

むしろ、効率よく仕事を終わらせて、自分の時間を確保する。

この考え方は、仕事中心の価値観を持ってきた世代からすると、「そんなことでいいのか」と感じるかもしれません。

しかし、見方を変えれば非常に合理的です。

「仕事を頑張ること」と「長時間働くこと」は同じではありません。

「会社に長くいること」と「価値を生み出すこと」も同じではありません。

若い世代は、その違いを私たち以上に敏感に感じ取っているのかもしれません。

ハードワークは「義務」から「趣味」になる?

さらに興味深かったのが、

ハードワークそのものの意味が変わっていくのではないか

という視点です。

これまでハードワークは、

「必要だからするもの」

という意味合いが強かったように思います。

生活のため。

出世のため。

家族のため。

会社から期待されているから。

だから、多少つらくても頑張る。

ところが、これからは違うかもしれません。

ハードワークは、必要に迫られて行うものではなく、

仕事に生きがいを見いだす一部の若者が、自分の意志で選択する一種の趣味のようなものになる

そんな未来です。

これは面白い発想です。

「仕事が好きだから、とことん働きたい」

という人がいてもいい。

一方で、

「仕事は必要最低限にして、自分の時間を大切にしたい」

という人がいてもいい。

つまり、働き方が一つではなくなるのです。

「どちらが正しいか」ではありません。

自分が何を大切にするかによって、選択肢が変わる。

そんな時代になってきたのでしょう。

「個性を尊重する」の意味が変わった

本書で、少しドキッとしたのが、

大方の若者にとっての「個性の尊重」とは、「一切否定も批判もしない」ということ

という指摘です。

「個性を尊重する」という言葉から、私たちは何をイメージするでしょうか。

自分らしく生きる。

人と違うことを恐れない。

自分の意見を持つ。

そんな意味を思い浮かべる人が多いでしょう。

ところが、若い世代の感覚では、

「自分を否定されないこと」

そのものが非常に重要になっている。

ここには、SNSの存在も関係しているのかもしれません。

SNSでは、似た価値観を持つ人を簡単に見つけることができます。

現実の世界では、

「そんな趣味、誰が理解するの?」

と言われてしまうようなマニアックな趣味でも、SNSを探せば同じ趣味を持つ人が見つかる。

つまり、

「自分は自分でいい」と思える居場所を、以前より簡単につくれるようになった

のです。

これは、生きがいのあり方にも大きな影響を与えます。

生きがいは「他人に理解してもらう必要がない」

本書の中でも、特に印象に残った考え方があります。

それは、

生きがいは、自分で持てればいい

ということです。

他人から理解不能だと思われても構わない。

これは、とても大切な視点ではないでしょうか。

私たちはつい、

「そんなことをして何になるの?」

「もっと役に立つことをしたら?」

「仕事につながることをしたら?」

と考えてしまいます。

しかし、生きがいは必ずしも「役に立つもの」である必要はありません。

本人が楽しい。

本人が夢中になれる。

本人が幸せを感じる。

それだけでも十分なのです。

しかも今はSNSがあります。

以前なら、一人で楽しむしかなかった趣味でも、インターネットを通じて世界中の仲間とつながることができる。

「誰にも理解されない趣味」が、「同じ趣味を持つ人たちのコミュニティ」へ変わる。

これは、私たちが生きがいを考えるうえでも大きな変化だと思います。

若者の「お手本」は縦ではなく横にある

もう一つ、非常に興味深かったのが、

若者にとって見本になるのは、あくまで「横」の世界

という指摘です。

具体的には、同世代で、自分と近い生き方をしている人たち。

たとえば、会社の上司が、

「俺は20代の頃、毎日終電まで働いた」

と話しても、それが若者のロールモデルになるとは限りません。

むしろ、

「自分と同じくらいの年齢なのに、こんな働き方をしている」

「同じような環境なのに、こんな生活をしている」

という「横」の存在のほうが、自分の未来を考える材料になる。

これはSNS時代なら、なおさらでしょう。

昔は、会社の上司や先輩が身近なロールモデルでした。

今は、SNSを開けば、自分と似た年齢、似た仕事、似た収入、似た趣味の人が大量に存在しています。

だから、

「自分と近い人がどう生きているか」

が重要になる。

これは、企業の人材育成や管理職のあり方にも、大きな影響を与えるのではないでしょうか。

「拒否回避欲求」が人間関係を変える

本書では、

拒否回避欲求

という言葉も登場します。

拒否回避欲求とは、他者からの拒絶や否定を避けようとする心理的な欲求のことです。

簡単に言えば、

「嫌われたくない」

「否定されたくない」

「怒られたくない」

「恥をかきたくない」

という気持ちです。

これは、誰にでも多少はあるでしょう。

しかし、この欲求が強くなると、

「自分の意見を言わない」

「失敗しそうなことには挑戦しない」

「責任を負うことを避ける」

という行動につながる可能性があります。

そして、本書では非常に刺激的に、

「言い訳こそ、拒否回避欲求が強い若者たちの必需品だ」

と指摘しています。

失敗したときに、

「自分のせいではありません」

「本当はやろうと思っていました」

「環境が悪かった」

と説明できるようにしておく。

これも、自分を守るための一つの方法なのでしょう。

もちろん、若者だけの問題ではありません。

私たち大人にも、思い当たるところがあります。

人から否定されたくない。

失敗したと思われたくない。

だから、最初から挑戦しない。

そう考えると、「拒否回避欲求」という視点は、世代を超えて考える価値があるように思います。

「テンプレートが欲しい」という若者像

本書からもう一つ感じたのが、

今の若者の多くは、この世界を効率的に生きるためのテンプレートを一つでも多く欲しがっている

ということです。

これも、SNS時代ならではなのかもしれません。

「就活ではこうすればいい」

「面接ではこう答える」

「仕事ではこう振る舞う」

「人間関係ではこうする」

「失敗したときはこう言う」

正解に近づくための「型」を求める。

これを「主体性がない」と批判することは簡単です。

しかし、情報が多すぎる時代だからこそ、効率的に生きるためのテンプレートを求めるのは、ある意味で合理的です。

選択肢が多すぎると、人は疲れます。

だからこそ、

「まずは、この型でやってみよう」

という基準が欲しくなる。

私たちの世代が若かった頃よりも、情報量は圧倒的に増えています。

その環境の違いを理解せず、

「昔は自分で考えた」

「若者ももっと自分の頭で考えろ」

と言ってしまうと、世代間ギャップはますます広がってしまうでしょう。

日本は「共助」が弱い?

本書では、日本社会についても非常に興味深い指摘があります。

それが、

日本は共助が乏しい

という見方です。

自己責任社会と言われるように、まず「自助」が大前提になる。

しかし、自助でどうにもならなくなったときには、公的な制度に救済を求める。

その一方で、その間にある「共助」が弱い。

つまり、

「自分で頑張る」

↓

「限界になる」

↓

「公的な制度に頼る」

という二極化です。

もちろん、社会保障や公的支援が存在すること自体は重要です。

困った人を公的制度が支えることは、社会にとって必要不可欠です。

ただ、本書の指摘から考えさせられるのは、

「自分」と「国家」の間にある人間関係が弱くなっていないか

ということです。

家族。

地域。

職場。

友人。

趣味のコミュニティ。

こうした「中間的なつながり」が弱くなると、人は孤立しやすくなります。

そして、孤立すると、

「誰にも迷惑をかけたくない」

「失敗を知られたくない」

「困っていると言えない」

という気持ちも強くなる。

これは、若者だけの問題ではありません。

むしろ、これから高齢化が進む社会では、私たち中高年にとっても重要な問題ではないでしょうか。

「社会全体が他人事化」している

本書で最も考えさせられたのが、

今の若者の世界では、自分にごく近い領域以外の社会全体が「他人事化」している

という指摘です。

自分。

家族。

友人。

自分の所属するコミュニティ。

そこまでは関心がある。

しかし、その外側にある社会全体については、

「自分には関係ない」

となる。

これも、私は単純に「若者の社会への関心が低い」と片付けるべきではないと思いました。

社会が複雑になりすぎているからです。

政治。

経済。

国際情勢。

少子高齢化。

社会保障。

AI。

雇用問題。

情報が多すぎて、自分一人では全体像をつかめません。

だからこそ、

「まずは自分の身の回り」

という発想になる。

これは、ある意味で自分を守るための合理的な選択なのかもしれません。

では、私たちは「仕事」とどう向き合えばいいのか

ここまで本書から学んだことを整理してきました。

では、私たちは何を考えればいいのでしょうか。

私は、

「仕事に生きがいを求める人」と「仕事に生きがいを求めない人」が、共存できる社会をつくること

が重要なのではないかと思います。

仕事が好きな人は、思い切り働けばいい。

仕事に生きがいを感じる人は、ハードワークを選べばいい。

一方で、

「仕事は生活のため」

という人がいてもいい。

定時で帰って、家族との時間を大切にする。

趣味に時間を使う。

副業に取り組む。

地域活動をする。

勉強する。

それも立派な人生です。

問題なのは、

「どちらが正しいか」

と争うことではないでしょう。

大切なのは、

自分にとって仕事は人生の何%なのか

を自分で決められることです。

「仕事に生きがいがない」は、悪いことではない

私はこの本のタイトルを読みながら、最初は少し極端な言葉だと思いました。

しかし、読み進めるほど、

「仕事に生きがいがなくてもいい」

という言葉は、むしろ多くの人を楽にするのではないかと思うようになりました。

仕事がつらい。

会社に行きたくない。

仕事で成果が出ない。

そんなとき、

「仕事こそ人生だ」

と思っていたら、苦しさは何倍にもなります。

しかし、

「仕事は人生の一部にすぎない」

と思えれば、少し距離を置くことができます。

仕事で失敗しても、

「自分の人生そのものが失敗したわけではない」

と考えられるからです。

逆に、仕事が大好きなら、それも素晴らしい。

大切なのは、他人から与えられた「正しい人生」ではなく、

自分自身が納得できる人生の配分を決めること

なのだと思います。

50代になって考える「仕事の意味」

この本を読んで、私自身が考えさせられたのは、

「これから何年、仕事をするのだろう」

ということでした。

若い頃なら、仕事はこれから何十年も続きます。

だから、

「仕事で何者かになる」

という考え方にも意味があります。

しかし、50代になると少し違います。

残された会社員生活には限りがあります。

だからこそ、

「会社でどこまで出世するか」

だけではなく、

「仕事以外の人生をどう充実させるか」

も重要になってきます。

仕事で培った経験を、誰かの役に立てる。

資格を活かして新しいことを始める。

文章を書く。

趣味を深める。

家族との時間を増やす。

地域とのつながりを持つ。

定年後の働き方を考える。

こうしたことも、立派なキャリアです。

「仕事か、人生か」ではありません。

仕事も人生の一部。

そして、仕事以外にも人生はある。

その当たり前のことを、改めて考えさせられました。

おわりに――「仕事に生きがい」は、あってもなくてもいい

金間大介、酒井崇匡著『仕事に「生きがい」はいりません 30年の調査データが明かすZ世代のリアル』を読んで、私は「若者の仕事観が変わった」というだけではないものを感じました。

これは、

「人生の中で、仕事をどこに置くのか」

という問題なのです。

仕事に生きがいを感じる人がいてもいい。

感じない人がいてもいい。

一生懸命働く人がいてもいい。

効率よく働いて、私生活を楽しむ人がいてもいい。

重要なのは、

他人の価値観を、自分の価値観だと思い込まないこと

ではないでしょうか。

私たちの世代には、私たちの世代の「正解」がありました。

若い世代には、若い世代の「正解」があります。

そして、これからの時代は、その「正解」そのものが一つではなくなっていくのでしょう。

仕事は人生のすべてではない。

けれど、仕事が人生の大切な一部になる人もいる。

そのどちらも認められる社会のほうが、きっと生きやすい。

「仕事に生きがいはいりません」というタイトルを見て、最初は「本当にそうなのか?」と思いました。

でも、読み終えた今は、こう考えています。

仕事に生きがいがあってもいい。

なくてもいい。

大切なのは、

「自分にとって仕事とは何なのか」を、自分自身で決められること。

それこそが、これからの時代に必要な「キャリア自立」なのかもしれません。

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