『「承認欲求」の呪縛』に学ぶ、認められたい気持ちとの付き合い方!

「周囲から認められたい」気持ちに、心が縛られていませんか?

「もっと頑張れば褒めてもらえる」
「期待に応えなければ」
そんな思いで、部活動に打ち込んだり、仕事に没頭したりした経験はありませんか?

私自身、社会人になりたての頃、ある資料作成で上司に初めて認められたときのことを今でも覚えています。
嬉しくて、もっと認められたいという一心で、残業もいとわず仕事に打ち込むようになりました。

そんな当時の私は、太田肇氏の著書である『「承認欲求」の呪縛』にあるような、「承認されたい」という欲望に支配された状態にあったのかもしれません。

※太田肇氏は『自営型で働く時代』の中で新しい働き方も提唱されています。

本記事では、太田氏の言う「承認欲求の呪縛」とは何か、そして私たちはどう向き合うべきかを、実体験を交えながら解説します。

認められたい気持ちは、人間にとって自然なもの

本書の冒頭では、承認欲求が人間の根本的で強い欲求のひとつであることが説明されています。

確かに、誰だって「よくやったね」「助かったよ」と声をかけられたら嬉しくなりますし、モチベーションも上がります。

このような他者からの承認は、行動のエネルギー源として大きな力を持っています。

しかし、その一方で問題になるのが、「認められたい」気持ちが過剰になり、行動や価値判断の軸が他人に委ねられてしまう状態です。

これが、太田氏の言う「承認欲求の呪縛」です。

「承認欲求の呪縛」とは何か? その仕組みと危うさ

本書によれば、「承認欲求の呪縛」とは、次の式で説明されます。

呪縛の強さ = 認知された期待 × 自己効力感のギャップ

簡単に言えば、

  • 周囲が自分に期待していると“思い込む”レベルが高く

  • それに応える自信(自己効力感)が低いとき

人は深く縛られ、苦しみやプレッシャーを感じやすくなるということです。

かつての私も、上司の期待に応え続けなければならないという強迫観念に近い感情を持っていた時期がありました。
それが辛さや空回りにつながったことも、今なら理解できます。

「承認」の光と影──山本五十六の言葉に学ぶ

「承認は人を育てる」ことも事実です。

山本五十六氏の有名な言葉にも、それが表れています。

やってみせ、言って聞かせ、させてみて、
褒めてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

このように、適切な承認は人を動かし、育て、実らせる原動力になります。
しかし、そこに「とらわれる」と、本来の目的や自分自身の価値を見失いがちです。

特にSNS時代の今、「いいね」や「フォロワー数」に依存してしまうなど、過度な承認欲求は人を疲弊させる要因にもなっています。

呪縛から解放されるために──「複数の世界を持つ」という提案

本書の中で紹介されている対処法のひとつに、

「複数の世界(居場所)を持つ」

という考え方があります。

たとえば、家庭・職場・趣味の仲間・SNSといった異なる場所で、それぞれの自分を持つことができれば、一つの場所での評価や承認に縛られにくくなるというのです。

私自身、この考えに非常に共感しました。

たとえば、LinkedInに登録して、自分の考えを発信することもひとつの手段。
職場でもなく、家庭でもない第三の場所で、自分の考えや経験を共有できることは、大きな精神的な逃げ道になります。

自分の軸を持とう。他人の評価は参考程度に。

『「承認欲求」の呪縛』を読んで気づいたのは、「承認欲求は否定すべきものではない」という点です。

むしろ、それを自覚し、「自分は何を大切にして生きていきたいのか」という軸を持つことが、呪縛にとらわれず生きるための鍵だと思います。

  • 他人に評価されなくてもやりたいこと

  • 誰に認められなくても誇れる努力

  • 自分だけは自分を褒められる生き方

そんな価値観を大切にすることで、私たちはもっと軽やかに、前向きに生きられるのではないでしょうか。

まとめ:承認欲求は「毒」にも「薬」にもなる

承認欲求は、人を動かす力になる一方で、人を縛る鎖にもなり得る。

これは、SNSが当たり前になった現代社会において、誰もが直面する課題です。

太田肇氏の『「承認欲求」の呪縛』は、その実態を鋭く描き出すとともに、「どうしたら縛られずに済むか」というヒントを私たちに与えてくれます。

ぜひ一度、本書を手に取って、自分自身の「認められたい気持ち」と、静かに向き合ってみてはいかがでしょうか?

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