「どっちもどっち」で決めることが出来なかった経験はありませんか?

人生100年時代と言われています。

私も折り返し地点を過ぎましたが、人生はまだまだ続くと思っています。

だからこそ、以前にブログで書きました『人生は攻略できる』を手に取りました。

人生ゲームの必勝法は「自分のキャラ」を活かすこと。

自分自身のキャラは、その時々の自分自身の置かれた環境、役割、気持ち等々によって作り上げられたもの。

そこで、その時々にどのように考え決断してきたか、人生を振り返ってみると、良かった or 悪かった、正しかった or 間違った等々の二元論では割り切れないことだらけであることに気づきます。

正しいのか、間違っているのかで評価するのは無理があるのではないか。

そういう思いで橘玲氏が書かれた『DD(どっちもどっち)論』を手に取りました。

橘玲氏は、脳を活動させるとかかる大きなエネルギーコストを最低限とするため、面倒な思考を「不快」と感じ、直感的な思考を「快感」と感じることになったといいます。

これが、すべての対立を善悪二元論に還元して判断することが「デフォルト」になった進化的な理由だと主張されています。

善悪二元論で考えるのは仕方がないことのようです。

自分が善、正しいとみんなが主張すれば、どうしても避けられない対立が生まれるでしょう。

まさに今、世界はそうなってしまったのではないでしょうか。

さらに橘玲氏は「解決できる問題はすでに解決」しており、私たちが取り組まなければならない残された問題は、「解決がものすごく難しいか、原理的に解決が困難な問題ばかり」だというのです。

著書の中では、「ロシア・ウクライナ戦争」と「イスラエル・ハマス戦争」から日本社会の最大のタブーである「犠牲者意識ナショナリズムとしてのヒロシマ」から始まり、身近な問題へと話題を移しながら、「善悪二元論」と「DD(どっちもどっち)論」のあいだを行き来することによって、私たちの心情を揺さぶります。

現在は「すべてのひとが自分らしく生きるべきだ」というリベラルな理想に賛成する方が多いと思います。

しかし追及していくと、

すべてのひとが「自分らしく」生きられる社会を目指そうと努力すればするほど、社会のあちこちで紛争が起き、「生きづらさ」が増していくという皮肉な事態

に陥ってしまうといいます。

ではどうすればいいのでしょうか。

唯一絶対の正解をこの著書の中に私は見つけることが出来ませんでした。

その時々で「善悪二元論」と「DD(どっちもどっち)論」を往復しながら、どこかに落としどころを見つけていくしかないのでしょう。

いわゆる一般論が何か腑に落ちない人、じっくりと考えてみたい人にお勧めの一冊です。

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