なぜ企業は不正に走るのか?その理由をあなたは知っていますか?

1万円札の肖像画である渋沢栄一の名著『現代語訳 論語と算盤』を以前に取り上げ、「道徳と経済の両立」について考察しました。倫理と利益は対立するものではなく、共に手を取り合って進むべきだという思想は、現代でも心に響くものがあります。

しかし現実の企業社会を見渡してみると、理想とは程遠い現象が多すぎる──そう感じたことはないでしょうか?

今回は、その理想とは正反対の視点から企業社会を読み解いた1冊、神山敏雄氏の著書『会社「性悪説」』を紹介しながら、「企業における悪とは何か」「私たちはどう生きるべきか」を深掘りしていきます。

「性悪説」とは、人間をどう見ているのか?

「性悪説」とは、古代中国の思想家・荀子によって提唱された、人間の本性に対する考え方です。

簡単に言えば、

人は放っておけば利己的で、欲望に従って悪い方向に走る存在である。

という見方です。

対比されるのが、孟子の「性善説」。こちらは、

人は本来、善良で思いやりを持つ存在である。

という立場です。

この2つの思想は、現代でもビジネスや教育の場でしばしば議論の種になります。

『会社「性悪説」』が描く、組織のリアル

神山敏雄氏が『会社「性悪説」』で語るのは、まさに「会社という組織は、性悪説で見なければ危険だ」という警告です。

たとえば、こんな一節があります。

「会社そのものは理性的・合理的存在であるとしても、その権力は大なり小なり派閥と抗争によって実権を握り、会社を支配していくのが常である。会社の実績を上げるため、または自己もしくは派閥のためには不合理な権謀術策、ときには法令違反の手段を用いてまでも組織を運営する可能性がある。」

どうでしょう?
一見、過激な主張のようにも思えますが、実際の企業スキャンダルや内部告発のニュースを思い出すと、「あるある…」と頷いてしまう方も少なくないのでは?

なぜこの本を1997年に読んだのか

この本を私が初めて手に取ったのは、1997年。当時、社会人4年目の若手サラリーマンだった私は、会社という組織の理不尽さに少しずつ気づき始めていました。

1997年には、多くの衝撃的な事件が起きています。

  • 山一證券の自主廃業

  • 野村証券の利益供与事件

  • 動燃の爆発事故

  • ペルー日本大使公邸人質事件

  • 香港の中国返還

  • 消費税の5%引き上げ

  • そして、ダイアナ元皇太子妃の事故死…

社会全体が揺れていたこの年に、私は無意識のうちに「会社って、信用していいのか?」という不安を抱いていたのかもしれません。

そんなときに出会ったのが、この『会社「性悪説」』だったのです。

「会社は悪をする」ことを前提に働け

神山氏の主張で最も印象的だったのは、この言葉です。

「現代の企業社会に当てはめれば、会社はその利益追求のため、天性的に悪いことをするのだから、社員は心して悪いことをしないように努めなければならない。」

つまり、会社という存在は「本能的にズルをする」可能性を常に抱えており、それを抑止するのは「個人の倫理」しかない、ということ。

これは言い換えれば、「正しい人間でいようとする努力」は、組織の一員であっても決して手放してはならないという警告です。

「道徳と経済の調和」は個人の中にしか存在しない?

渋沢栄一の『論語と算盤』では、「道徳と経済は両立すべきだ」と説かれていましたが、神山氏は企業全体でのそれは幻想に近いと考えています。

なぜなら、組織には利益や評価を求めて動く“派閥”や“政治”が絡み、時に不正を正当化しようとする力学が働くからです。

それでも、私たちはそこに身を置かなければならない。だからこそ、

「社員一人ひとりが自己管理と組織貢献の両立を目指すこと」

が必要だと神山氏は説きます。

この視点は、企業で働く全ての人に刺さるのではないでしょうか。

「私は絶対に加担しない」と言えるか?

誰しも「私は不正なんてしない」と思っているでしょう。

でも、実際に自分のキャリアや生活がかかった状況で、

  • 上司に命じられた不正行為

  • 暗黙の了解として繰り返される非倫理的な慣習

を拒否できるでしょうか?

神山氏の問いはここにあります。

「自分が会社犯罪の加担者にならないために、どう行動すべきか?」

それは、「今この瞬間」から始まっています。

どう生きるか?──あなたが守るべきもの

『会社「性悪説」』は、ただの悲観論ではありません。

むしろ、現実を直視したうえで、

・倫理的に生きる努力
・自分の意思で判断する姿勢
・組織に流されない勇気

こそが、サラリーマンとしての生存戦略であると教えてくれる一冊です。

会社が「性悪」なのは仕方ない。
でも、私たち一人ひとりが「性善」であろうとする限り、社会は変わっていく可能性がある──。

そんな希望も、この本には込められていると感じます。

最後に:会社に依存せず、自分の「倫理軸」を持て

いま働く人にとって最も大事なのは、「会社を信じすぎないこと」かもしれません。

信頼しすぎると、裏切られたときのダメージが大きすぎるからです。

会社が悪になってしまう可能性を前提にしつつ、
それでも自分は「正しい仕事」をする。

そんな信念を持てたとき、どんな組織にいても、自分の人生を主体的に生きられるのだと思います。

あなたはどう思いますか?

「性悪説で会社を見る」という視点は、一見ネガティブに思えるかもしれません。
しかし、それはむしろ「あなた自身の正しさ」を守るための大事な予防線でもあるのです。

あなたの会社では、倫理と経済、どちらが優先されていますか?

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